舞鶴城のあとしめて — 太田小学校校歌より
一枚の車窓から見える、青空と萌える緑。懐かしい水郡線に揺られて太田に帰ると、いつも雄大な美しい色が迎えてくれる。高校卒業後、上京し、大学で文学を学んだ私は、在学中に出会った詩の世界に魅かれ、文筆の仕事に入った。「詩の源泉は?」と、問われれば、幼い日々に触れた故郷の自然と答えている。四季折々の光、風、緑濃い山々。川のせせらぎ、田のあぜ道。世界と私を結ぶ詩作の根底にある生への信頼は、三つ子の魂が育まれた故郷、常陸太田が築いてくれたものだと信じてやまない。
母校である太田小学校の校歌に「くじらが岡の片ほとり/舞鶴城のあとしめて」というフレーズがある。幼心に、今はない城の姿を見上げ、大空に羽ばたく美しい鶴を思った。そして、「瑞竜山や西山や/世にすぐれたる賢君の/遺徳かがやくこの土地に/生まれて学ぶうれしさよ」と、続くことばの響きに、柔らかな敬意を感じていたような気がする。
人間にとってことばは、生涯、大切なコミュニケーションの道具として在り続ける。人と人とが繋がり、学び合い、何かを創造するプロセスには、必ずことばがある。常陸太田という土地で交わすあいさつの素朴さ、優しさは、城下町の慎ましやかな暮らしの歴史が、生み出しているものではないだろうか。健やかな人間性の基盤は、人と土地に育まれ、受け継がれ、命は続いてゆく。時折帰省する私は、人への優しさや温もりを大切にしているか、心に水はあるか、太田で覚えた「生きる姿勢」を自らに問う。変わらぬ町並みと風の匂いは、穏やかな審判として、いつも私に微笑んでくれる。
昨秋、ご縁があり、子育て支援施設「じょうづるはうす」で開催された「秋の子子育メッセ」に参加させて頂いた。故郷ですくすくと育つ子供たちの姿に、この上ない喜びを感じた。幼い日に歌った校歌が、再び胸に蘇る。「心をみがき身を修め/誉をあげよ雲井まで」。新たな命の輝く未来は、太田の空、あの雲井まで、大きく広がってゆくことだろう。
1971年茨城県常陸太田市に生まれる。太田小、太田中、太田第一高等学校卒業後、玉川大学文学部英米文学科へ進学。在学中に、詩の世界と出会い、書き始める。2002年中村恵美名義による第1詩集『火よ!』出版、第8回中原中也賞受賞。2004年英訳詩集『Flame』(山口市)出版。2005年中村恵美名義による第2詩集『十字路』出版。2009年4月筆名を中村恵美から神泉薫へ変更。2012年神泉薫名義による第3詩集『あおい、母』出版、平成24年度茨城文学賞詩部門受賞(以上、書肆山田刊)。2014年月刊絵本『ふわふわふー』(絵/三溝美知子こどものとも0.1.2.福音館書店)出版。2016年3月より常陸太田大使に任命される。2017年7月より調布FMラジオ番組「神泉薫のことばの扉」、「神泉薰Semaison言葉の庭へ」など、パーソナリティー。2019年4月第4詩集『白であるから』(七月堂刊)出版。2019年12月月刊絵本『てのひらいっぱいあったらいいな』(絵/網中いづるこどものとも年少版福音館書店)出版。日本文藝家協会会員。神奈川県在住。