うるし作家

黒沢くろさわ理菜りいなさん

—— 常陸太田市の思い出
常陸太田には坂道が多かったので、坂の思い出が多いです。通った幼稚園のそばに坂道の道路がありますが、通っていた時にはまだ道路ではなく、土と草があったように思います。そこでヤマゴボウ(当時はヤブドウと言うのだと信じていました)をとり、色水を作りました。中学に通う時には、家を出てから一度下るのに、校門までの道が上り坂になっていて、重い荷物を背負って歩かされることに理不尽を感じていました。図書館に行くことが好きで、特に人が少なくなる雨の日にわざわざ、勉強したり本を読むために行っていました(そうクラスで発表すると後ろの席の女子に「暗っ」と言って笑われました)。図書館へは、かなり急で細く鬱蒼とした坂道を下るとすぐでした。坂道の途中には古井戸があり、水の流れる音がしていました。

—— 漆を学ぼうと思ったきっかけ
実家が音楽教室を経営しており私もピアノを習っていました。別の選択肢を探したくて県内一の進学校に進み、ある時やめました。その後自分に他に何の可能性があるか考えて、美術が得意だったので美大を受験しようと考えました。初めはイラストレーターになろうと思い、デザイン科を志望するつもりでしたが、京都芸大の大学見学にて漆芸の存在を知り、そこで受験を決めました。

—— ピアノの作品を作ろうと思ったきっかけ
音楽をやめると決めた時想ったのは、これまで両親がかけてくれた時間、手間、お金のことでした。また、自分にはそれしかないと思って暮らしてきた時間のことを思うと、果たして自分に他に何があるというのか、途方に暮れました。芸術の道に進んでからも、たびたびそういう思いが頭をよぎりました。ピアノの作品は、それらの思いと向き合うために制作を決めました。

制作には2カ月ほどかかりました。ほとんど毎日、6〜10時間程度作業をしたと思います。漆は湿度と温度がないと硬化が始まらないので、季節は冬、底冷えする極寒の京都、さらに暖房設備もろくにない部屋での作業は、漆を乾かすのも一苦労、体もとても辛かったです…。

—— 作家としての活動は今後どのように
作家としての活動は、ひとまず最低でも年一回の発表を目標としております。今現在は漆塗りの球体関節人形を作ることに凝っており、人の感情の救い手として制作しています。

1992年茨城県生まれ。2016年京都市立芸術大学美術学部工芸科漆工専攻卒業、京都市立芸術大学大学院美術研究科工芸専攻卒業。個展/2017年「感情をなぞる」(SUNABAGALLERY)、「ひかりの跫」(KUNSTARZT)。
2019年「夢のいりぐち」(大雅堂ギャラリー)。2020年「みず色の隙間」(ギャラリー恵風)。グループ展ほか/2015年奥久慈うるしと壱木呂の会展(常陸太田市梅津会館)。2016年京都市立芸術大学作品展(京都市美術館)奨励賞受賞、漆芸の未来を拓く生新の時2016(石川県輪島漆芸美術館)、京都市次世代工芸展(京都市美術館別館)morgenrot賞受賞。2018年グループ展「漆に寿ぐ」Artspacemorgenrot、京都府新鋭選抜展(京都府5京都文化博物館)、アンスティチュ・フランセ関西賞、日本経済新聞関西支社賞、京都市立芸術大学修了制作展 大学院市長賞。

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